同期のKさん

Kさんは地元の野山を歩く仲間である。
同じ頃仲間入りしたので私は勝手に同期を名乗っているが、仲間内では一番年上で、国内外の登山歴豊富なかなりのつわものとお見受けする。
山中、大木に出会うと手の平を樹皮に当ててじっと見ている。ある時「何をしておられる?」と尋ねたら、「種がここに落ちて芽を出してからこの木は、太陽の光を求めて上へ上へと伸び、厳しい自然環境に耐えこの場所で生き抜いてきた。その長い年月を想うと僕は、『良く頑張ってきたね』と思わず声をかけたくなるんです」と大変重みのある答えが返ってきた。私は間の抜けた相槌しか打てなかったが、心中深く感動した。

コロナ禍前に、皆で山小屋に泊まったことがある。食事の際に隣に座ったKさんは手に小冊子を持ち「これを歌いたい」と言う。見ると曲名と歌詞が載っている小さな本だった。Kさんが指差した「がんばろう」という歌を、私は知っていた。以前の職場では、ストライキ集会の時に歌ったことがあった。困難の中にあっても労働への誇りや希望を失うことなく、団結して頑張ろう!,そんな歌だった。
「一緒に歌ってあげよう」と偉そうに私が言うとKさんは喜び、一緒にこぶしを振って「がんばろう」を歌った。
これまでの人生で多々あったであろう困難を乗り越え生きてきたKさんが、「がんばろう」という歌や、過酷な環境で生き抜く大木の姿に、御自分を重ねているような気がした。

Kさんは、認知症状の進みゆく奥様をとても大切にした。仲間が山行を誘っても、奥様を温泉に連れて行くことを優先した。
1年程前から、Kさん自身も病を患った。自宅で療養しながら奥様の介護と家事を担うKさんを思い、仲間が時々弁当や鍋ごとカレーライスを差し入れた。

昨年12月のある夜、Kさんは突然逝ってしまった。入浴中の事故だった。
奥さんの電話で駆け付けた仲間からの、「救急車が来るまで出来るだけのことをしましたが、助けることが出来ませんでした」というメールで、私はKさんの死を知った。
残された奥様と、助けようとした仲間の心中を思うと胸が痛む。

91歳の、私の同期、Kさん。
何歳からだって常に挑戦出来ると教えて下さった。

春になったら山のホオノキは、その高い樹上に大きな花を咲かせる。
Kさんが大好きだと言っていた、ホオノキの花の優しい甘い香りが風に乗って流れてきたら、山道を歩きながら私達はKさんを想うだろう。

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