私たちが目指してきたもの

初代院長 故 濱田 毅(2007年4月掲載原文)

 今は「神経内科」という言葉もその診療内容も一般の方たちにもかなりよく知られるようになりました。

 しかし、当院が開業した当初、北海道における神経内科の分野はまだ人々の意識の外にありました。

 私がこの北祐会神経内科病院を始めた昭和57年頃はまだ北海道の大学にも神経内科はなく、医療者にもその内容はよく知られていない状況でした。そんな時代のさらに前、昭和49年より私は後に北海道大学初代教授となられました田代邦雄先生のもとで神経内科の勉強を始めました。

 当時の北海道大学には神経内科の診療科も講座もなく田代先生と二人で脳神経外科の中で勝手に神経内科診療班と名乗って専門治療を始めました。神経内科は脳、脊髄、末梢神経、さらに筋肉の疾患を診るとても広範囲にわたる医療です。患者さんを診ていくうちにとても多くの神経難病の方が適格な診断もされず、必要な医療も受けられずに放置されていることに気付かされました。そんな患者さん達を大学病院からなんとか確保できたわずか9ベッドで対応するのには限界があると感じていた昭和56年のある日、外来にきたどうしても入院加療を急がなくてはならない患者さんを入院させることができず、その日の夜に患者さんが亡くなるということがあって、なんとか自分たちの力で専門病院を創りたいと決心したのです。

 もちろん、当時の私は若干36歳の一銭もない世間知らずでしたので、自分たちで専門病院を作る前に国立病院や道立病院で神経内科ができないか関係各所に打診しましたが、良い返事は頂けませんでした。いよいよ、自分たちで病院を作るしかなくなり、医局の仲間、金融機関、難病連、家族や親戚、医療機器業者、建設会社、そして一般の方々の応援によって、今思いますと奇跡のようですが、昭和57年11月に123床の北祐会神経内科病院をスタートさせることができました。

 開院に際しましては神経難病の専門病院としての使命を第一に考えましたので他科の先生も見てくださるであろうと脳血管障害は診ないこととしました。私たちの目的はあくまで神経難病の診断、治療、その原因の追究、さらに若い神経内科医の育成です。そのため北海道大学医学部に神経内科の診療科の開設、ついで講座の開設にも協力することとしました。この25年間、経営的にも大変でしたし、職員にも無理をかけたと思います。

 幸いにも現在まで初心はなんとか貫徹できましたし、ほぼ初期の目的は果たせましたが、肝心の難病の原因解明がいまだできていないのが残念でなりません。亡くなった後に病理解剖に協力していただいた方たちのことを思うと申し訳ないという思いと同時に私たちの行くべき途はいまだ半ばであり、残された問題は山積みなのだと痛感させられます。

 私たちはこれかもなんとか色々な方に助けられつつ、目的を同じくする仲間と共にがんばっていきたいと思います。

濱田 毅 先生を偲んで(北海道大学神経内科 佐々木 秀直 教授 寄稿)